不幸のスケールが小さい
先週の木曜日、うちの近所で母が事故った。車同士すれ違うときに、どこかに接触して車のバンパーが割れた。
その翌日、同じ道で私が事故った。自転車で左折しようとしたところ、道の右側を猛スピードで走ってきた自転車に突っ込まれた。左手を打撲した。
どちらの事故も、自分たちがもっと注意すれば防げたのだろうから、無責任に偶然のように捉えるべきではないと思う。
けれども。「同じ場所で2日連続の事故」という偶然の重なりには、何か感じないわけにもいかない。
符牒(ふちょう)
同業者や仲間など、当事者間のみで意味が通じる言葉・記号のこと。
ある出来事が起こる。それだけなら何でもない。
が、なんらかの理由で、出来事の意味を考えたとき、その出来事は“符牒”になる。
いくつかの“符牒”のあいだにつながりが見えたとき。それを“符牒が合う”という。
断片的なエピソードが、符牒になり、つながるとき。符牒が合うとき。
それが、ドラマが生まれるとき、なのだ!!!
で。
私の身辺に起こった2回の事故がなんらかの符牒で、これからドラマが始まるのかも……。
平穏無事が一番、と思っていても、山や谷ができてくるのが人生なんだろうか。
少なくとも今、谷間に差し掛かっているのは間違いない。
そんなことを考えつつ、実家に自分の事故を報告したら、
「どうも、うちの一族、雲行きがあやしいぞ」と父に言われた。
父も週末にかけて、事故のほかにも親戚周りで色々あって大変だったらしい。とりあえず墓参りに行ってくるらしい。
はぁ~、こりゃ大変だわ~、暗雲が垂れ込めているわ~と、一連のことを夫に話してみたところ、
「不幸のスケールが小さい!!」と言われた。
確かにね。
平和な日々に感謝するべきでした。
人間関係、霧だと思ってもいいですか。
切っても切れない「絆」なんて、そうそうないと思っている。
私も現代人としてこの社会に生きている以上、そこらへんをドライに考えざるを得ない。花粉症と同じくらいに、仕方ないことだと思う。
しかし。
「友情なんてものは自分から一方的に持つものだ」という北野武の言葉。
「信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つくほうがいい」という贈る言葉。
そして「切りたいならいつでも切れよ!」という自分の心の叫び(哀)。
そういうものを秘めつつ、私も頑張って友情や好意を自分から投げかけて、人との関係を結んできた。
で、その、「結んできた。」という私の感覚。
「絆」というほどじゃないけれど、私も人間関係を、線的なものと感じていたわけだ。その線を「友情」「好意」「責任」「義理」「しがらみ」などと自分で定義していたわけ。
それが私の、人間関係というものの、捉え方だったのだ。
なぜ、こんなことを考え始めたかというと、線的に捉えると苦しい関係が出てきたからだ。
疲れた。
私は基本的に、自分からの一方通行だって、ギブ アンド ギブだって、いいと思っている。上に述べたとおりです。
でもさ、やっぱり関係を線的に捉えているせいもあって、相手からの手応えを期待しているのだ。
それで苦しくなるんだ、きっと。
もっと、柔軟に。
もっと、フレキシブルに。
関係性なんて、形のないものじゃない?
感じるものじゃない?
ファーーーーーッと。かすかに感じとれるくらいで、いいんじゃない。
霧とか、霞とか、そういうものなんじゃない。
なんとなーーーく、おぼろげーーーーに、「あなたのこと、少しは気にしているよー、いるよー、いるよー……(リフレイン)」
みたいな。
そう思ったら、急に気が楽になった。
これは画期的な転換だ!と思った。
そこで、伝わりにくさに苦心しながらも夫に話してみた。
すると。
「それって、俺のやり方じゃん!」
だめだった。
やっぱり、苦しくても、私は人間関係を線で結んでいこうと思った。
今も思い出す、入社式の訓示「おまえらは○○○の△△△だ!」
13年前。まず、入社式に行ったら会社名が変わっていた。
「外資系企業と合弁だったけど解消しました。親会社100%出資の子会社になりました」
と、社長。他の話はまったく覚えていないから、たぶんそれしか言わなかった。
その後、おもむろに副社長が登壇し、いや。壇なんてなかった。
とにかく前に出て、開口一番。
芸を磨いて客を満足させろとか、自分に値段がついて客に売られるんだとか、
そのへんが芸者だって言った。たぶん。覚えていない。
振り返ってみると、その会社にいた数年間はお気楽だった。
たいした芸者修行もしていなかった。
しかも芸者として座敷に出る前にやめちゃった。
我ながら、ちょっとなさけない。
同業の外資系企業に転職してからが、大変だった。
コンサルは社内価格と対外価格が、はっきり決まっていて、
労働時間が営業利益を生んでいるかいないか、色分けされていて、
個人がいくら稼いでいるか、簡単にはじきだせる。
しかもコンサルの売値がめちゃくちゃ高い。
「アンジョウカセギヤー」(外資)って感じで。
まさしく置屋の芸者だったですよ。(あくまで私の認識における)
コンサルという職業の本質を端的に表し、かつ忘れられないインパクトを持つ。
副社長の訓示は、そういうものだったわけだ。
コンサルタントにしてもライターにしても、言葉は武器だなあ。
慣れない(というか)できないコピーライティングに苦しみつつ、思い出した訓示でした。
もう4月も終わるけどね。
いわば丸腰で、生きてきたわけだ
今年もやってきた、進級、進学の季節。
私はこの2014年度、上の子の幼稚園の役員、執行部書記を務めた。
下の子を保育園に預け始めて時間ができたのと、なのにライターの仕事がこなかったらどうしようという不安から役員に立候補して1年間。
役員会のレジュメと議事録、イベントのタイムテーブル、役員会だよりなどの文書作り。
給食試食会の自転車整理、盆踊りのジュース渡し、バザーのレジ補助、クラスイベントのフォロー、クリスマスのお菓子詰め、卒業対策委員会の問題ヒアリング、餅つき会のいそべ餅作り、etc。
そして今月は役員解散式、卒園式、クラスお別れ会。最後はクラスの保護者の皆さんからお礼の品をいただき……
先々週の役員打ち上げ飲み会では、みんな喜びで顔が輝いていた。
そのときの全員の気持ち。
「今年、役員やってよかった!!!!!!!」
こういう感想で締めくくれるのは、とても幸せなこと。
“!”をいくつつけても足りない。
役員の仕事は、ちょっと時間はとられるけど、そんなに大変じゃない。揉めない限りは。
私たちの前年度はかなり揉めて、打ち上げ飲み会はできなかったらしい。
役員会は喧々諤々で、とても下の子を連れていけるような雰囲気ではなかったらしい。
というわけで、
「今年、(揉めない年に)役員やってよかった!!!!!!!!!!!!!」
で、ここからが本題。
今、幼稚園のママたちは次の学年で誰が役員になるかの話題で持ちきり。
役員は各クラス3人だから、必ず全員がやらなきゃいけないものでもないのだが……
そしてここに、「新年度に役員やらなきゃいけないかも」と怯えているママが2人。
子どもが1人なので、弟妹を連れていたり、兄姉の小学校で役員をしていたりするママたちの中、自然とスポットがあたるわけで。
この前ちょっと用事があって、その2人とお茶したのだけど、2人とも
「こんなに気の弱い私が、役員なんかできるわけない」
と言う。
うん。向いてないかも。だからやらなくていいよ、と言うと、
「でも、やらなかったら、『役員やってない』と気にしちゃう……」
そんな!なんて、難儀な!!
しかし実際、気が弱いからこそ、周りの圧に負けて立候補してしまう人もたくさんいるらしい。
そこでちょっと思いついたので言ってみた。
「2人とも、これを機にメンタル強化したら?」
「えっ?そんなことできるの?」
(私)「えっ?」
衝撃だった。
ママ友は色んなバックグラウンドの人がいるから、話題は選ぶ必要がある。
でも今回の2人は、4大出て普通に会社で働いていたのに。
2人とも、いわば丸腰で生きてきたわけだ。サラリーマン社会を。ママ友界を。
そんなに気が弱いのに……。
嫌なことをブラックボックスに入れて忘れる。
語尾を「~に越したことはない」にして、「~すべきだ」から始まる負のスパイラルを回避する。
主語に「私は~」をつけて、他人の評価を気にしない自分主体の思考回路に切り替える。
精神的ダメージを回避するテクニックは色々ある。
20代の頃は必要に迫られてメンタル武装に努めた。
本屋で「メンタルタフネス~」とか「へこまない~」だとかを立ち読みし、
ビジネスの現場で出会うおじさんたちの鈍感力(いい意味で)に憧れ。
でも、もしかしたら「強くなれる」と思う時点で、私はもともと、けっこう、気が強かったのかもしれない。
なんか、自分が「強さ」ばかりに目を向けてきた気がしてきた。
もっと弱さについても考えてみようと思わせてくれた、気弱な友人2人の話でした。
クリアーになることもある
クリアーにならないことがたくさんある。
大きな仕事を待って1月からずっとアイドリング状態だったり、色々。
でもクリアーになることもあるんだ!と思った話です。
おととい、1月に3歳になった息子の3歳児健診に行ってきた。
午前中に大急ぎで仕事をすませ、12時に保育園にお迎えに行き、
雨の中、30分自転車を漕いで市の保健センターに行き。
育児相談、発育測定、小児科、歯科、歯磨き指導、聴覚検査などで約2時間。
「お母さん、もう他に気になることはありませんか?」
「……あ、ありません」……ありません!?
子育てしていて、気になることがない状態って、存在したんだ!
さらに。
強まる雨の中また自転車を漕いで、4月から息子が転園する保育園の健診へ。
4月から年少児の年齢になる息子。
年長児になる娘と同じ幼稚園に入れるか、悩みもした
結果、保育園を選んだけれど、今の保育園は家から遠い。娘の幼稚園からも遠い。
というわけで、近くの園に転園願いを出していたわけだ。
でもどうせダメだと思っていた。1歳、2歳と落ち続けたし。
だから先々週に通知がくるまで、もう1年今の園に通うと思っていた。
通ってうれしい反面、今の園になじみきっている息子のことが不憫だったのだが……
健診で入ってみて、もうこっちの園に通うことは理解したらしい様子。
(次の日今の園の先生に「新しい園にはすごい恐竜図鑑がある」的なことを嬉しそうに話していたらしい)
あらら……解決しちゃった?
しかも。
2つの健診と同日。
夜の冷たい雨の中、自転車を漕いで今の園の懇談会に行って、転園することを先生や保護者の方々に告げて挨拶してきた。
先生は今年度新任で息子のこともとても可愛がってくれ、しかも最初は担任3人のうちの1人だったのが、いつのまにかたった1人の担任になりがんばっているという。
そんな先生にちゃんと挨拶できてよかった。
仕事で忙しい日々、偶然にも息子の予定が3つも重なった日。
そして、一気に息子がらみのモヤモヤが晴れた日。
すべてにおいて、とは思わないけれど、ものごとにはクリアーになる日がくるもんだな。
と思いました。
なんとか2月中にブログ更新できた!
キックオフ前の心得
大きな仕事が入りそうな気配があります。
まだ、ミーティングで概要の概要を聞いてきただけ。
キックオフ前の段階。
今は冷静になって、自分ができる準備をしておこう……ということで。
<キックオフ前の心得>
―もとい、<これからキックオフするプロジェクトにアサインされるかもしれないときの心得>
1.期待しすぎない
アサインがなくなるかもしれないし、キックオフがなくなるかもしれない。
あれこれ想像するのはいいけれど、「……なんてね」「……だったらいいけど、ないない!」などを付けるのを忘れないこと。
2.雑用を片付けておく
サラリーマンなら免許の更新、各種住所変更、粗大ごみを捨てる、スーツの新調など。自営業の今は、経理処理とインフラ整備も。とりあえず先週、プリンタを買い換えた。本当はルンバも買いたいし、TVボードを買って模様替えをしたい。無線LANを替えてステレオ買って、オーディオ周りを一新したい。したいなあ。
3.健康になっておく
歯医者とか皮膚科とか、整体とか。あと、ストレス要因はつぶしておく。私の場合は先週、私の家事負担が大きすぎるというかほぼ全部であることについて、夫と派手に喧嘩しておきました。たとえ今後も家事を分担してくれなくても、言いたいことはすでに言ってあるので、すっきり。
4.手軽に癒される手段を用意する
やっぱりホームシアターシステムは買っておくべきかな。
5.見込みで投資はしない
いわゆる、獲らぬ狸の皮算用で失敗するというやつ。ルンバとホームシアターは買ってはいけない。
それから、もっと忙しい人なら本業の仕事の整理も重要事項に入ると思う。
私は駆け出しもいいところなので、いただける仕事を自分から切るわけにもいかず。とりあえずは身辺を整理して期待せずに、待ちます。
娘のお雛様も今のうちに出しちゃおうかな。
夢想家タイプのグズ
1週間に1度はブログを更新することを目標にしていたのに、先送りを続けて1ヶ月放置してしまいました。
放置した理由は何を書いても言い訳になるので、とりあえず自分のグズがどのタイプにあたるのか、グズについての名著を覗いてみた。
「グズの人にはわけがある」
リンダ・サバディン/ジャック・マガイヤー著 齊藤 勇訳
すべきことを先送りにし、取り掛かれない「グズ」を6つのタイプに分けてそれぞれに処方箋を示している。
・完璧主義タイプ
・夢想家タイプ
・心配性タイプ
・反抗者タイプ
・危機好きタイプ
・抱えこみタイプ
私は「完璧主義タイプ」……にもわりと当てはまると自分では思うのだけど、残念ながら「夢想家タイプ」のほうが当てはまるorz
ひなたぼっこしながら「あの問題、こうしているあいだに解決したりしないかなー、しないかw」といつまででもぼんやりしていられるタイプだ。
「なんで放置できるの!?」と夫が捨ててくれるまで、冷蔵庫の中の古い食品を見て見ぬフリするように。
そういえば若い頃の悪夢(文字通り夜にみるやつ)の1パターンに、
「XXXをもらったの、袋に入れて置いたまま忘れてた!!」
というのがあった。
XXXは生物です。猫だったり、人間の赤ちゃんだったり……放置した期間も1日どころじゃない長期……この悪夢シリーズ、汗びっしょりになって飛び起きて数日間は嫌な感じが残るほど、ショッキングだった。
あの恐怖を思い出して……
はい、ブログ更新しました!
次は冷蔵庫の掃除!の前に、クリスマスツリーを片付けるか……部屋のはしに追いやられて家族全員見て見ぬフリをしていたという。
断片的な夢じゃなく、地道な日常の作業に目を向けていきたいと思います。