AkikoAida’s diary フリーライター主婦の日記

教育、自転車、日淡、仕事、日常。2015年9月から5テーマで書いていきます。(前3つは初心者です)

人間関係、霧だと思ってもいいですか。

切っても切れない「絆」なんて、そうそうないと思っている。

私も現代人としてこの社会に生きている以上、そこらへんをドライに考えざるを得ない。花粉症と同じくらいに、仕方ないことだと思う。

 

しかし。

「友情なんてものは自分から一方的に持つものだ」という北野武の言葉。

「信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つくほうがいい」という贈る言葉

そして「切りたいならいつでも切れよ!」という自分の心の叫び(哀)。

そういうものを秘めつつ、私も頑張って友情や好意を自分から投げかけて、人との関係を結んできた。

 

で、その、「結んできた。」という私の感覚。

「絆」というほどじゃないけれど、私も人間関係を、線的なものと感じていたわけだ。その線を「友情」「好意」「責任」「義理」「しがらみ」などと自分で定義していたわけ。

それが私の、人間関係というものの、捉え方だったのだ。

 

なぜ、こんなことを考え始めたかというと、線的に捉えると苦しい関係が出てきたからだ。

疲れた。

 

私は基本的に、自分からの一方通行だって、ギブ アンド ギブだって、いいと思っている。上に述べたとおりです。

でもさ、やっぱり関係を線的に捉えているせいもあって、相手からの手応えを期待しているのだ。

それで苦しくなるんだ、きっと。

 

もっと、柔軟に。

もっと、フレキシブルに。

 

関係性なんて、形のないものじゃない?

感じるものじゃない?

 

ファーーーーーッと。かすかに感じとれるくらいで、いいんじゃない。

霧とか、霞とか、そういうものなんじゃない。

なんとなーーーく、おぼろげーーーーに、「あなたのこと、少しは気にしているよー、いるよー、いるよー……(リフレイン)」

みたいな。

 

そう思ったら、急に気が楽になった。

これは画期的な転換だ!と思った。

 

そこで、伝わりにくさに苦心しながらも夫に話してみた。

すると。

 

「それって、俺のやり方じゃん!」

 

だめだった。

やっぱり、苦しくても、私は人間関係を線で結んでいこうと思った。