人間関係、霧だと思ってもいいですか。
切っても切れない「絆」なんて、そうそうないと思っている。
私も現代人としてこの社会に生きている以上、そこらへんをドライに考えざるを得ない。花粉症と同じくらいに、仕方ないことだと思う。
しかし。
「友情なんてものは自分から一方的に持つものだ」という北野武の言葉。
「信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つくほうがいい」という贈る言葉。
そして「切りたいならいつでも切れよ!」という自分の心の叫び(哀)。
そういうものを秘めつつ、私も頑張って友情や好意を自分から投げかけて、人との関係を結んできた。
で、その、「結んできた。」という私の感覚。
「絆」というほどじゃないけれど、私も人間関係を、線的なものと感じていたわけだ。その線を「友情」「好意」「責任」「義理」「しがらみ」などと自分で定義していたわけ。
それが私の、人間関係というものの、捉え方だったのだ。
なぜ、こんなことを考え始めたかというと、線的に捉えると苦しい関係が出てきたからだ。
疲れた。
私は基本的に、自分からの一方通行だって、ギブ アンド ギブだって、いいと思っている。上に述べたとおりです。
でもさ、やっぱり関係を線的に捉えているせいもあって、相手からの手応えを期待しているのだ。
それで苦しくなるんだ、きっと。
もっと、柔軟に。
もっと、フレキシブルに。
関係性なんて、形のないものじゃない?
感じるものじゃない?
ファーーーーーッと。かすかに感じとれるくらいで、いいんじゃない。
霧とか、霞とか、そういうものなんじゃない。
なんとなーーーく、おぼろげーーーーに、「あなたのこと、少しは気にしているよー、いるよー、いるよー……(リフレイン)」
みたいな。
そう思ったら、急に気が楽になった。
これは画期的な転換だ!と思った。
そこで、伝わりにくさに苦心しながらも夫に話してみた。
すると。
「それって、俺のやり方じゃん!」
だめだった。
やっぱり、苦しくても、私は人間関係を線で結んでいこうと思った。